感想

いきなりだが、発達課題というのを知っているだろうか、まあ去年の家庭科で習ったから覚えていて当然だよな。

発達課題というのは、人間が健全で幸福な発達を遂げるために達成しなければならない課題のことだ。

それぞれ時期に分かれており、13~19歳は心理的課題として、同一性 VS 同一性の拡散とある。その関係性は仲間であり、そこで起こる自問は「私は誰か? 誰でいられるか?」だ。

この自問はまだ答えを出せそうにない。もっとも、19歳を過ぎても、この問題は悩み続けている人は多そうだが。

まず説明から始めよう、同一性というのは、英語で言うとアイデンティティ、意味としては自己の確立する要素である。簡単に言えば自分を把握するということだ。

私は前回の記事でアイデンティティを見出した。そして、次は同一性の拡散だ。

同一性の拡散とは、そのままの意味で、自分というものを相手に知ってもらう。ということだ。

さらに、これには、 VSというのがある。これは自分とは何かというものを見つけ、それを相手に知らせる。そして相手も私に対して、知ってもらうということだ。

そこで見つけだされる要素は、「忠誠心」だ、これは正直まだ、わからない。まあ少なくとも今日の放課後からは、そういう要素は一切なかっただろう。しかし、今日で、「同一性の拡散」というのは出来たのではないだろうか。

互いに自分のことを知ってもらい、それについて、感想や意見を述べる。時には価値観のズレや、性格の違いが出る。

それを、真摯に聞いて、討論を重ねる。違いが出たことに対しての「許容」するという勇気。これが放課後出来た気がする。

なんか大げさだとは、とらえられても仕方がないが、自分を知ってもらうということをまったくしてこなかった俺はとても新鮮でいて、楽しかった。何よりも有意義だった。

それぞれの家庭事情や、悩み、不満、それをブチまけて、喋りあうのはなんて心地が良く、気持ちのいいことなのだろうと思った。

元気が出た。周りも深い悩みを持っている、それは解決できない問題もあるし、解決できる問題もある。それに対して、大いに悩んでいる人がたくさんいるという安ど感。

私だけ、という孤独感がなくなった日だった。

なんか今まで悩んでいたことも、共有することでその悩みが、楽になるというのが、わかった。だからと言って、その問題が解決できるわけでもない。

だからこそ、うまく向き合って、付き合っていくことが大事なんだなということを感じた。

周りは自己というものを確立していない者が多かった。迷って安易に自分の体をないがしろにする人。クラスの大半はゴミだと言って、けなし、バカにする人。

自分が大人になったときに、こんなこと言ったり、したりして、バカだなと思う日が絶対に来るだろう。

だからこそ、楽しんでほしい。今を。価値観を押し付けあい、討論する今を。

恥ずかしいが、こんなこと言って締めてみる。

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自我の確立

明日、書くといったが我慢できずに書いてしまった、明日は休むかもしれない。

中学校の頃デイリーライフみたいな日記あったはずだ。その頃は、空白だったり適当なこと書いたりしたが、この日記というのはとても重要なものだったんだな。と、改めて気づいた。

なぜなら、今私が自分のブログを見て、楽しんでいるからだ。最近の記事だが、その瞬間の感情が思い出されて、こんな心の状態だったんだなーと思うからだ。

もっとも、その感情というのは、とてもいいものじゃないが。

話は変わるが、情緒不安定になることはあるだろうか?みんなもあると思う、それは悩みやストレスもしくは葛藤なのかもしれない。

私も絶賛そうなのだが、この葛藤の中で、私はどうあるべきなのかという答えを導き出せたようだ。

答えとしては、素というのをひた隠して誰にでもこびへつらう人間になる。

ということだ、ここは唯一私の「素」を出している場だが、それ以外では、変に真面目で、それでいていじられキャラを演じている。

そう、衝撃的なことでもないかもしれないが、私の学校での性格はすべてウソなのだ。もっと言うと、普段の家の生活でもぜーーーーーーーんぶウソ。

本音を言うと、素でしゃべれる友達が一人としていないからここに当たり散らしているってだけなんだけどね。

ウソという仮面をかぶるのが慣れすぎて、自分を見失う時が結構ある。たまに自分の素がわからなくなり、どういう性格で、どういう人間かわからなくなる時が結構ある。

そこで、ストレス解消という名目で自分はどんな人物かというのを把握するために、ブログを始めた。

これからも、一生本音で話せる友達は出来ないだろう、それは周りが悪いわけではない、ただ、本音で話すより建前でしゃべるほうがよっぽど楽だし、相手のためになるからだ。

俺は、友達がいらないわけではない。自分というのはこういう人間って知っているから、距離を置いているのだ。

きっと素を出してしまったら、そいつに依存するようになるし、相手も迷惑だしな。

ここまで、書いて自分に対して気づいたことがある。それは、楽観主義だと前言ったが、心の奥底にあるのはネガティブな視点ということだ。

まあ、そんなネガティブなことに気付いたとしても、そうなることはほぼないと思う。

なぜなら、私はブログを書いている以外は仮面を被り続けているからだ。

でもまあ、それに気づけたブログに感謝、俺に感謝。

そしてこれが、俺の素だ。

これを見せている下田と南は重いと言われそうが、仕方がない。だからといって、別に対応を変えるわけじゃないし。

むしろわざわざ俺のオナニーに付き合ってくれて感謝している。

あと、読者をもう一人だけ追加しようと思ってる、俺の承認欲求が止まらないからだ。

という訳で今日の話はここで終わりっ!

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 P.S2人は信用しているが、改めて言っておく、絶対にこのブログがあることを広めるなよ

母校

 

この学校にいる生徒はこの学校にいることを誇れない人が多いようだ。

だからといって、私はこの学校を誇っているわけではないが、学歴コンプレックスを持っている生徒が多すぎる気がする。生徒ほぼ全員が持っている悩みなんじゃないかと思っている、というか確信している。

だけど、コンプレックスを持つ割には、それと向き合う生徒がそれに対して少なすぎる。例えば、このバカ校から脱却してやる!みたいな人は俺の知ってる限り1人しかいないし、この高校の悪口をずっと言ってるけど、内側から変えない人なんかめっちゃいるし。

何しても、ここはそういう高校だから・・・と言って自分の行動を正当化し、反省もしない。

この高校は正直偏差値を上げようと思えば、十分に上げられると思う。だけど、ここの生徒は自分を卑下し、それ以上に欲を出さない。

これは、バカ校共通ではなく、この高校の特徴だと思っている。俺の周りは家庭環境に問題があるやつばかりで、そこで、劣等感や羞恥心が確立されたと思っている。

しかし、これはバネなのだと気付いてほしい。劣等感や羞恥心は人としてっ成長できるということを。

嫌なら、変えればいいじゃないか、一生懸命に勉強して、それで国立大学に入れば名前が売れて頭のいいやつが入ってくるかもしれないだろ。

だけど、自分はバカだと決めつけて、動かない、就職のときを待つやつらがおおすぎる。

なんなんだ。いきなりキレるようだが、現実と向き合わずにその場しのぎで心の余裕を持とうとするやつが多すぎる。

偏差値なんて、上げようと思えばいくらでもあげれるし、一流企業に行きたいんだったら、めっちゃ勉強すればいけるし。

それをだりいで片づける人が多いんだよ、俺もだけどw

他の高校と比べるが、豊富高校とか見てやべえと思うぞ周りはピアス開けまくって、化粧もケバく、陽キャはタトゥーが入ってる始末。授業中は勝手に抜け出してもOKとか、完全に狂ってる。

あまり、比べるのはよくないと分かっているが、やべえだろ俺らだいぶましだなーって思うだろ、伸びしろは無限大にあると思うんだよ。

もっと自分の高校に誇りとはいいすぎだけど、そんな卑下することはないと思う。俺もそんな生徒の一部ということを再確認したとこで、この話を終わりにしたいと思う。

今日の一曲

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じゃあ明日は自我の形成について書きます。

 ちなみに、このブログで1万1000字超えました。おめでとう俺

カースト

今日そういえば、ブログの読者が2人に増えた。だからといって特段何かするわけではないが。

今日は世界史古代でもやった、カーストについてだ。この階級制度は今から3000年前からあったというが、現代でもカーストだけは一向に進化しないようだ。

そんなカーストを学校でつけてみた。それにも名称があるというのは人間の下心もしくは卑劣なものを感じるものだ。

さっそくランクをつけよう。男女一緒にするとめんどくさいので男女別にする。

1.神田、山口、鈴木

2.佐野、堀川、直江

3.丸山、岸、エイチャン、末吉

4.下田、大島、高見、

5.松本、狩野、澤田、佐藤、関

ってな感じだ。完全に俺の独断と偏見によるものだから多少の誤差は気にしないでくれ。なんか学級会長がスクールカースト最下位ってのもなんだか面白い。

堀川は3に入れるか迷ったが、バイク乗りってだけで、そこのコミュニティが形成されて、そこのツレがなかなかの陽キャなので、2にした。

次は女だ、私は、あんまり関係を持ってないから、ほんとに雰囲気とかで決めるから許してな。

1.中松、中澤

2.廣木、有馬、田邊、工藤

3.清水、山中、

4.小倉、樋口、

5.齋藤、真坂、根本、薮崎、福島

0:奥住

おい!0ってなんだよ!とツッコミを受けそうだが、奥住は山中以外との関わりがあまりにもないから、0となってしまった。しかたないね、誰ともかかわりがないから、0は0なんだよね。

小倉は3に入れるか迷ったが、男からの人気があまりにも少ないので、4に入れることになった。

なんだが女は、5から1までだんだんと性格が悪い順になっている気がするが、これは真理なのかもしれない。女は性格悪くないと、生き残れないからね、ほんとみっともない生き物だとつくづく実感する。

こう見ると、やはり陰キャカーストが下になりやすい。これは全世界共通だと思う。共通の趣味でしか話をしない人なんて、下になって当然だと思うからね。

なんかいきなり、不特定多数の人間を攻撃してしまったが、気にしない、だってこれはブログだからね。

今回から、自分の趣味も押し付けたいから、好きな音楽のurlを貼ることにした。

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このブログで唯一編集してるところだから、聞いてくれ。

それでは、また明日。

内容がないよう

タイトルが寒いダジャレだが、これはがないことだ。

だって私はブロガーでもないし、だからといって、作文が得意なわけでもないし。

つまり書くことがなくなってきた今日この頃。

ちなみに、ダジャレを言い始めるのはほんとに老化の証拠らしいよ。

3連休最後ということで、憂鬱な人も結構いると思うが、私もそう思う。

というのも、普段だったらそこまで鬱にならないのだが、テストが近いのにまったく勉強していないという焦りや、資格の受験もだんだんと近づいてくる恐怖。こんなこと言ったら、一日一日がつらいのだが、特に今日はそう思った。

3連休結局のところ誰とも遊ばなかったし、3つ前の記事ではダークサイドに落ちちまうよ~^^とか言ってたけど、寝たら治ったし。

まったく有意義に使えていない、3連休だった。

やったことといえば、ドラゴンクエストモンスタージョーカー3をすげえやったくらい。

マジで「無」だった。

もう今日について、書くこと長いから、次の話題に切り替える。

ダイエットも普通にやっているのだが、まったく痩せない。なぜだろうか、停滞期にしては早すぎるし、どういうことだろうか。まあ、やめる気はさらさらないけどね。

そもそも、私は中学生のころダイエットしてる人を見下していた。「何を必死になって頑張っているんだ(笑)」みたいな感じで。

でも、今は一生懸命にダイエットやっている。実に滑稽だ。

そもそも、なぜダイエットをし始めたかというと、簡単に言うと失恋したから。

でも、相手は痩せるどうこうの話じゃないって。

正直、痩せたいと思ったことは何回もあったが、しようとはしなかった、絶対長続きしないし、だけど、対外的に痩せたいと思ったことは初めてだった。

だから、失恋した相手にはとても感謝している。なんかこれすげえ青春じゃん?

毎記事、失恋やら、女がどうこう話していると思うがブログを始めたきっかけがそれなんだから、しつこいと思わないでくれな。

それじゃあ今日の記事はこれで終わろうと思う。

P.S 下田のプリクラ、ゲロきもかった。

 

 

 

嫌いな人物

タイトル詐欺になってしまうが、私には基本的に、嫌いな人はいない。断言して言える。

嫌いなタイプはいる。自分語りが多い人、人によって態度を変える人、まあ後者は、特に学校はそういう人多いから、あまり見てないけど。

もう嫌いなタイプに当てはまる人間バンバンだしていく。

まず直江、お前は心優しい人物というのはわかるが、話がつまらん。ほんとに。なんなんだ、お前の話は自分が語りと刃牙をとったら、何が残るというんだ。

虚言癖が過ぎて、まったく信用ができない。

そういうところだぞ、あと授業妨害してくるな。

次に末吉、お前もいい奴だとはわかるが、イジりがつまらんのじゃ、いつまで琉球を引きずるつもりなんじゃ、沖縄に行ってないのにお前だけがまだ沖縄気分ということに気づけ、あと、人前になるとイジりだすのはやめなさい。

あと、堀川、お前もいい奴だ、けれども直江と同じで虚言癖が過ぎて信用ならん。家庭事情も複雑っぽいし。あといじり方のクセが強くて反応しづらい。

こんだけ言ったけど、この3人は嫌いじゃない。だって、そいつらにはいいところを持ち合わせているから。

基本的に俺はいいところにスポットを当てる、悪いところが見えてもでもいい奴だから・・・で許しちゃうというのもある。

最後にこれが一番大きい要因だが、嫌われている人、嫌っている人に対して、対等に接している自分がとても偉く、高尚になれるからだ。

嫌いなタイプと話しても、「俺はお前より上だからな」ということを常に思っているから、全然嫌にならない、だって下だもん。

ここまで書いたら、すげえ嫌な奴に見えるが、脳内でそんなことを思って何が悪いんじゃ、むしろ、表に出すよりは全然いい奴だろ。

死と向き合う

ほんとブログというのは便利だ。

一方的に自己承認欲求を満たしてくれるからだ、俺はtwitterでツイートするのさえ、躊躇してしまうなんでだろうな、フォロワーが120人しかいないのに見られるってなると、変に面白く、いいねをもらえるようにって思ってしまう。

それに対してどうだ、この掃きだめ以下のもしくはぼっとん便所もしくは簡易式トイレそのくらい汚いことを平気で書けるなんてほんとに現代のストレス発散は進化したな~とつくづく思う。

本題に戻る、

私は悟りを開いた、、、気がする。

たまにいるじゃん、「なんで私はいきているのか?」とかいう答えもわからないのにそういう質問投げかけてくる、つまらんやつ。

あれだぞ、初対面の人に年を聞いたときに、「私いくつに見える~?」って聞くのとおんなじだからなそれ。

見た目の年から下を言ったら、幼稚に見える。しかし、逆に年相応に言ったら、老けてるって間接的に言ってしまうことになりそうじゃん。

しかも初対面の相手に心の距離感を求め来るやつね。

まあそのぐらい面倒くさい質問じゃん、死ねば?とも言えないし、そんな質問する奴にガチでアドバイスしたら、絶対今後めんどくさくなりそうだし。

つまり、この「死」に対する考えは他人に求めず、様々な経験から自分なりの答えを見つけるべきだと思うんだ、これを見ている下田もわかっているだろう。

そんな「死」に対する価値感を押し付けていきたいと思う。

正直、死にたいとかいうやつは早く死んでいいと思う。だって、生きるのに向いてないから、そういうやつは将来の展望が見えてない。

死にたい、とかいう感情はだれもがわかっている「時間」というものが解決してくれるのに、そのことに目をそらして、言うやつは死にたいなら死んでもいいと思う。

あと、ネガティブな奴も生きるのに向いてないと思う

そいつらに俺の生きている意味を教えてやろう。

俺は、自分の快楽のために生きている。

例えば、文化祭の前夜祭で、みんなの前にでて一発芸を3回もやった、しかもダンスが終わった後、最高に盛り上がった後に、結構スベった。

この時人前で自分を見てもらってすんんんんんんんごい気持ちが良かった。

射精の比じゃない気持ちよさ、達成感と、アドレナリンがでた、俺はこのために生きているんだなと確信した。

俺みたいな目立つことが快楽じゃない奴は快楽にもいろんなものがあるから、探してみるといい、例えば、女だいてるのが好き、ギャンブルで勝った瞬間が好きとかな

正直この例は一番よくない例だけど、快楽を見つけたほうがいいと思う。

それでも、見つけられないどうしようもない奴は、小さな幸せをいっぱい見つけることで、心のよりどころを見つけるとかしかないと思う。

これもたとえ話になるが、もう冬本番という季節に、ずっと外に出かけていて、コンビニで買ってきた暖かいコーヒーを飲む。

これってめっちゃ幸せだと思うんだよね。そして、幸せをたくさん見つけて死のう。

結局、死という決まったレールをいかに楽しむことができるか、だからね。

俺にしては、結構きれいなことをいったんじゃないだろか

つまり、女で権利を主張してくる奴は全員死ね。

これを結びの言葉として締めさせていただきます。